2011年12月18日日曜日

世界中の人々の幸せを願って○○する


福厳寺には「観音の湯」という、
湯に入りながら参拝をするという
施設があるのですが、

(何と表現したらいいのか。
温泉のようなものです)

そこにはこんな張り紙が。

=====

参拝の方は次の偈(げ)を唱えて
沐浴(もくよく)して下さい

沐浴身体(もくよくしんたい)
當願衆生(とうがんしゅじょう)
身心無垢(しんじんむく)
内外高潔(ないがいこうけつ)

=====

どういう意味かというと、

「体を洗い清めよう
世界中の人々の幸せを願って
体も心もけがれなく純真になって
外だけでなく内側もキレイになろう」

(中村の意訳も入ってます)

ただお風呂に入るという行為も、

「世界中の人々の幸せを願って」
というところが素晴らしい。

毎日お風呂に入るたびに、
人々の幸せを願うなんて、
スケールがデカイ(笑)

日ごろ行っている、何気ない行為を、
1度でもいいから誰かの幸せを願って
行ったことがありますか?

私は、、、残念ながらありません。

「何を言ってるんですか。

何でお風呂に入るのに、
人々の幸せまで願わなくちゃ
いけないんですか」

と思う方もいるかもしれませんが、

例えば、ご飯をいただくときに、
「いただきます」と言う。

命をくれた動植物や、
それを育ててくれた人たち、
料理を作ってくれたお母さん、

もっと広く見ていくと、、、

食材を売ってくれたスーパーの店員さん、
食器を作ってくれたメーカーさん、
それらの流通業者さん、、、

書けば書くほどありますが、

その目の前にある出来事に、
どこまで想いをめぐらせて、
それに感謝できるのかが、
人の器の大きさであるように思います。

ただお風呂に入るという
何気ない日常の出来事を、

「世界中の人々の幸せを願いながら」

というスケールのデカさに感動したのです。

中村 宇博

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